近代日本は世界的に見ても、地縁や血族に縛られて生きる傾向にあります。特に「長子が家を継ぐ」という傾向にあり、それを「しがらみ」とネガティブに表現しつつも、あらがえないものとして受け止めてきました。戦後に欧米諸国の文化が流入し、それに対するリスペクトが起きましたが、それでもなお、「自由に生きてゆくことは難しい」といった観念が根強く残っているのも事実です。合理性や個人主義、主体性の実践には、なかなか至らないものです。

そのような中で自然葬は、長年の憧れを実践できる場として、選択されることが多くなりました。実際には檀家制度や先祖代々の墓を守るべきという縛りはあるものの、遺骨の一部だけでも実践できるのが自然葬です。それによって「合理性」や「個人主義」「主体的自由」への憧れを完結することが出来る考えられます。これらの思想的な背景があって、自然葬はますます拡大しています。

「主体的自由」を表現するものとして、自然葬の中でも多くの選択肢が生まれています。海への散骨一つをとっても、どのようなシチュエーションで行い、ロケーションはどうするのかなど、様々な要望にこたえられるようになっています。自分自身の人生の幕の閉じ方は、葬送方法の選択は自分自身の主張でもあります。、生きてきた証を内外に知らしめるものでもあるといえます。

商業的に確立してきたこともあって、安全でトラブルのない自然葬が誰でも行えるようになっています。

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